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2022年4月15日 (金)

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芝増上寺の子育地蔵、子供の無事成長、身体健全、水子供養のために、1300体のお地蔵が安置されてます。

桜吹雪を起こす風が、お地蔵さんの風車もからからと回し、彼岸の域の様相を呈します。

拝む神様は、世界でさまざまなれど、その祈る心は同じ。



3月の最終日、東京生活のピリオドを打ちに参上し、もう終わりかけた増上寺の桜を見てまいりました。



  バッハ  マタイ受難曲 BWV244

   福音史家:ペーター・シュライアー 
   イエス:テオ・アダム
   ペテロ:ジークフリート・フォーゲル
   ユダ:ヨハネス・キューンツェル
   ピラト:ヘルマン・クリスティアン・ポルスター

   アルト:アンネリース・ブルマイスター  
   ソプラノ:アデーレ・シュトルテ
   テノール:ハンス・ヨアヒム=ロッチェ  
   バス:ギュンター・ライプ
  
  ルドルフ・マウエルスベルガー指揮 
    ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
    ライプチヒ聖トマス教会合唱隊
    ドレスデン十字架教会合唱隊

        (1970 @ルカ教会 ドレスデン)

2022年のイースターは、4月17日。
キリストが磔刑にあった、聖金曜日は15日ということになります。

人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。
今年ほど、この音楽が人類への警鐘とも聴こえる年はないのではないか。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。
新約聖書のドラマテックなクライマックス、イエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語。
自身を鏡で映しだされてしまうかのような、心の内とその存在の弱さをバッハは厳しくも音楽で優しく描きつくした。
そこに共感することで、宗教を超え、人間としての存在の深淵をのぞきこめる普遍的な価値をここに見出す。


中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴はワーグナーとディーリアス同様に長い。
同時に聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問とそこにある不変の感銘。
1974年、H・リリングが初来日し、そのときのマタイをテレビやFMで視聴したことが初の全曲体験で、アダルペルト・クラウスの福音史家も思い出深く、テノールのこの役柄がバッハのこの音楽にとっていかに大切なものであるかも、このときに痛感したものだ。
リリンクのあの時の演奏は、マタイを知るきっかけとなった一方、多くの方がそうであるように、リヒターの峻厳な演奏が、マタイのひとつの指標になっていて、それをベースに他の演奏を聴くということが自分でも起きていたと思う。

1972年にレコード発売されたマウエルスベルガー盤は、レコ芸で見てからずっと気になる存在だったけど、もちろんその頃は4枚組のそんな大曲など遠い存在すぎて、聴くすべもなかった。
その後、ずっと忘れていたマウエルスベルガー盤が無性に聴きたくなったのは、ここ数年のことで、昨年、ようやく入手して静かに楽しむこと数日、そしてほんとうに飽きのこない、でもこれと言って大きな主張もないこの演奏がとても好きになりました。

兄弟でバッハの守護者のような存在だった、ルドルフとエールハルトのマウエルスベルガー氏。
全体の指揮をとった兄ルドルフはドレスデンで、弟エールハルトはライプチヒでそれぞれ活躍し、この録音でも双方の教会合唱隊の指導を行ってます。
ルドルフ・マウエルスベルガーは、この録音時81歳で、翌年に亡くなってますので、ピンポイントでほんとうにいい時に録音されたものです。
 ここに名を連ねる、当時の東ドイツ側の歌手たちも、いまや物故してしまった。
ドイツ的なるものを宿していた時期のバッハは、いまのインターナショナル化してしまった旧東ドイツ系のオーケストラでは聴かれない、いい意味での古雅な響きを持っているし、ドレスデンのルカ教会での録音も、まさにこの時期ならではの響きがする。

おそらくバッハにその人生の大半を帰依し、ともにあったマウエルスベルガー兄弟。
リヒターのような強い主張はここではまったくなく、淡々とバッハの音楽が流れゆくのみで、群衆の「バラバ」「十字架に」という言葉も劇的になることなく、必然としてのように歌われるし、ペテロの慟哭のあとのアリアも物静かに進行する。
マウエルスベルガーのマタイは、バッハの音楽そのものしか感じることができず、指揮者の存在や関与を感じさせないという点で稀有の存在なのではないかと思う。
名のある歌手たちも、指揮者の元に極めて禁欲的につとめていて、名エヴァンゲリストとなっていくいくつもあるシュライアーの録音のなかで、これが一番素晴らしいと思う。
過剰な歌いこみのない、ペテロの否認の場面は極めて感動的。
テオ・アダムとブルマイスター、バイロイトでウォータンとフリッカのコンビだったふたりも、抑制された歌いぶりで、いぶし銀的な味わいがあり、ほかの歌手たちも同様。

オーケストラ、独唱、合唱、少年合唱、録音チームのひとりひとりまで、バッハを歌い、演奏するという長き伝統に裏打ちされたひとつの理念でもって統一感があって、何度もいうが、渋いけれど、なにも起きないけれど、普通に素晴らしい演奏だと思うのであります。
リヒター、レオンハルトとともに座右においておきたい。



花曇りだけど、増上寺と東京タワーに桜は映えます。

東京タワーの横には、ロシア大使館の前に建設中のビルがだんだんと出来上がってきて、正直言って、景観をそこねている。
日本一の高層ビルになるようで、そのようなもの、もういらないとホント思います。
いろんなところでビルの工事中であった東京を去り、何もない場所に帰ってきてほぼ1か月。
毎日、窓の外が額縁みたいです。

 

次に聴きたいマタイは、アバドとベルリンフィル。

イタリアのレーベルから限定で出ていたが、あまりに高額で手も足もでない。

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2022年4月10日 (日)

アンサンブル ラディアント 第23回定期演奏会



神奈川県二宮町の町営生涯学習センター「ラディアン」。

そのメイン施設が「ラディアンホール」で531席のコンパクトなサイズです。



このホール開設時に創設されたのが、湘南・西湘地区のアマチュアとプロの奏者たちの皆さんによるアンサンブルラディアントです。

創設者の白井英治さんはずっとこの楽団のコンサートマスターを務めていらっしゃいましたが、残念ながら昨年お亡くなりになりました。

小田原の高校を出た私ですが、そのころ、小田原フィルハーモニーにちょっとしたご縁で打楽器で出演することとなりました。
そのときの客演ソロ奏者が、当時読響におられた白井さんでした。
ラロのスペイン交響曲がその演目でした。

白井さんのご家族もそろって音楽家でして、引き続きこの楽団のメンバーです。
そして娘さんの白井彩さんが、今後団長を引き継いでいかれます。
ラディアンという素敵な響きを持つホールとともに、地元に根差した活動をこれからも是非期待したいと思います。



 第22回 アンサンブル ラディアント定期演奏会

       ~音楽とめぐるヨーロッパ~

  グリーグ   二つの悲しき旋律
          
          胸のいたで、過ぎし春

  ウォーロック  カプリオール組曲

  ヴァイネル   ハンガリーの古舞曲によるディヴェルティメント

  メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 変ホ長調 ~弦楽合奏版~

  ガーシュイン  ララバイ ~アンコール

      アンサンブル ラディアント

      ゲストコンサートマスター:白井 篤
      賛助出演:松本 裕香
           ソモラ・ティボール 
           百武 由紀
           安田 謙一郎
           藤村 俊介  

      (2022.4.9 @ラディアンホール 二宮町)

追悼をこめて演奏されたグリーグは、晩春にさしかかり、まさに桜の散る季節に相応しい音楽と演奏でした。
北欧から始まったい欧州の旅は、透き通るような哀しさと自然の美しさを味わいました。

ついで、悩める作曲家でディーリアスの研究家でもある本名ヘセルタイン、ウォーロックの組曲。
ウォーロックは36歳の自らの命を絶った謎多き作曲家で、「たいしゃくしぎ」という絶望の深淵をのぞいてしまったような歌曲が昔から好きなのですが、それと真反対のルネサンス調のゆかしき舞曲集は、英国王朝の伝統と格式、そしてユーモアも感じさせる音楽。
実演で聴くのは初めてでして、軽やかでしなやかな演奏でありました。
北欧から英国へ行くと、そこは格式豊かな社交の場で、お紅茶でもいかが?という感じになります。
でも英国はタダモノでないですな、表面はそうでも、英国音楽も深すぎる。

さて次はハンガリーのヴァイネルという作曲家の作品で初聴きでした。
ここでは、自国の音楽と言うことでソモラ・ティボールさんがコンマスに。
そして、立奏となりまして、音の圧と自在さがより高まることとなりました。
5つのハンガリー風の舞曲は、なかなかに味わい深く、かつ濃くて独特な響きを醸し出してました。
こういう音楽は、日本人が聴いても血が騒ぐといいますか、リズムを取って動きたくなるもんでして、ホールも熱い雰囲気に満たされましたし、ティボールさんに導かれた奏者のみなさんも、ノリノリで体を大きく動かしながら、アイコンタクトをしながらの熱演ぶりでございました。
東欧の国、ハンガリーに行くと、血の濃さといいますか、民族色が音楽にモロに反映されている感じがします。

後半は、音楽の本場ドイツへ到着。
メンデルスゾーンはユダヤ系だけれども、本物のドイツロマン派の中心人物であり、その伸びやかで明るい音楽は、いつでも癒しになり、そして温暖でうららかな町、二宮にぴったり。
メンデルスゾーンはメロディーメイカーだと、この曲の1楽章を聴いてつくづくわかるし、なんたって17歳の頃の作品とは思えない。
一度聴いたら忘れられないメロディーだと前から思っていたけれど、弦楽合奏版で聴くと、さらにスケール感と立体感が増して、より大きな音楽に聴こえました。
それにしても、ホールを満たすアンサンブルラディアンの響きが輝かしくも感じられたのは、メンデルスゾーンの豊かな音楽ばかりでなく、後半に入って皆さんの集中力と音楽にかけた思いが高まり、それが音にしっかり乗って、聴くわたくしたちにしっかり届いたのでした。
終楽章ものめり込んで聴いてしまった圧巻の盛り上がりで、曲の終結とともに大きな拍手が巻き起こりました!
佳曲、佳演とはこのこと。
ドイツに着くと、やはりそこは豊かで深みもあり、音楽の可能性が幾重にもあると感じる、まさに本場でございました。

コンマスの白井さん(ご自身で5号とおっしゃってました(笑))のご案内で、アンコールはヨーロッパで閉めると思いきや、渡米です、と会場を笑わせていただきました。
旅の終わりに、こ洒落て、小粋なガーシュイン。
誰しもがほっこりと笑みを浮かべてしまうステキな作品で、羽毛のようなサウンドで、4人のソロのみなさんの美しい弱音にも聴き惚れましたし、こうした静かな音楽でスゥイングしちゃうのもいいもんだ。
お休みまえのウィスキーを飲みたくなった。
そんな気分にさせてくれた終点のアメリカ。

なんたって平和がいちばん!

アンサンブル ラディアント、来年は何を聴かせていただけますでしょうか。



夕景のラディアン。

奥には新幹線が走ります。



山手には八重桜と、ずっと奥には丹沢山系。



3月の河津桜もラディアンの見どころでした。

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2022年4月 3日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番&5番



春まっさかり。

桜も関東は終盤で、この週末が最後の見ごろ。

移動してきた実家の庭の春紅葉と桜。



寒暖の差が大きく、今年の桜はことさらに美しく感じられました。

不穏な世界も、この桜を愛でて一呼吸して欲しいものです。

今年2022年は、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムス(1872~1958)の生誕150年。

あらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残したRVW。
あらがいきれなかった9番までの交響曲に、民謡をもとにしたお馴染みのグリーンスリーブスなどの瀟洒な作品や、タリスなどの管弦楽作品、さまざまな楽器の協奏曲作品、室内楽、器楽に、オペラ7作、そして歌曲や声楽曲も多数。
多作家であり、晩年まで意欲は衰えず作曲を続けた。

その生涯にふたつの世界大戦を体験し、その作品にはその影が大きく落としている。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽もあるし、シネマ的な優れた描写音楽もある。
9曲の交響曲には、そんな多面的なRVWの音楽の姿がしっかり反映されていて、それぞれに分類もできる。

今年、数回に分けてRVWの交響曲をその特徴をおおまかに分類しつつ聴いてみたい。

1回目は、不穏ななかに求めたい自然の優しさを。
しかし、いずれもふたつの大戦にはざまれた作品。



     ヴォーン・スイリアムズ 田園交響曲(交響曲第3番)

       S:ヘザー・ハーパー

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

         (1971.1.8 @キングス・ウェイホール、ロンドン)

    ※ジャケットはあまりにステキなものなので借り物で、私のプレヴィン盤は全曲盤
     以下ふたつ記載も以前書いたものに少し手をいれたもの

1922年に
ボールトの指揮により初演。
全曲がゆったりしたモデラートで書かれた、田園を思い描いた心象風景そのもので、平安を求めるより内面的な音楽でもある。


北フランスにいた1916年頃から構想され、そのカミーユ・コローの風景画のような景色に大いにインスパイアされた。
第1次大戦が、しかしこの平和な交響曲に陰りを帯びさせることとなる。
構想から6年、完成した「田園交響曲」は、確かに平和でなだらかな牧歌的なムードにあふれているが、RVW独特のペンタトニックな旋律は、物悲しい北イングランド風で、戦争の悲しみをも歌いこんだ戦火で命を失った人々へのレクイエムのようでもある。

木管の上下する音形で印象的に始まる茫洋とした出だしの第1楽章。
徐々に霧が晴れてくるかと思うと、また風景はぼんやりと霞んでしまう・・・。

やはり静やかな第2楽章、長いトランペットのソロは、夜明けを切り裂くような悲しいラッパに聴こえるし戦渦のなかの慄きか、はたまたあまりに儚い夢の中に留まりたい思いもあるかのようだ。
唯一元気のある3楽章は、フルートやヴァイオリンソロ、ハープの涼やかな合いの手が美しいが、ダイナミックな舞踏曲の様相となるユニークな楽章。
そして、この曲最大の聴き所の第4楽章。ティンパニのトレモロのなか、ソプラノ・ソロが歌詞を伴なわずに入ってくる。
このミステリアスな雰囲気で始まる繊細で美しい終楽章は、心の襞に染み入る癒しと安らぎの音楽だ。
優しく、おやすみなさい、お眠りなさいと語りかけるような音楽。
最後に再度、ソプラノが歌い、消え入るように「田園交響曲」は終わる静寂が訪れる。

次項の5番とともに、心優しい音楽づくりのプレヴィンにもっとも相応しい3番。
LSOと残した交響曲全集のなかでも、もっとも最後の方の録音で、オケとも関係性でももっとも緊密だったころ。
若いプレヴィンならではの、柔軟かつ歌にこだわる歌いまわしが心地よい、まさにフィーリングに満ちた演奏。

  ヴォーン・スイリアムズ 交響曲第5番

    サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

          (1962 @ロンドン)

   ※CDが引越し荷物に埋もれジャケット画像はありません。
    PCに取り込んだCDを再生しました
    このCDはサージェントのRWVも聴けるすぐれもの

次の戦争1943年という世界大戦まっただ中に、何故にこのような平和で柔和な作品が残されたのだろうか。
この前の不協和音乱れ飛ぶ不穏な4番(1943)と戦後作品とはいえ、闘争心と暗さみ満ちた6番(1947)というシャープでキツイ交響曲にはさまれた第5番が戦中だったことを思うと作曲者の心中を推し量りがたくなるがいかがだろう。

ヴォーン・ウィリアムズは熱心なクリスチャンだった。
オペラに声楽曲に、宗教を背景とした作品も多い。
第5交響曲をじっくり聴いてみると、RVWが戦火の悲惨さを思いつつ、そんななかで、祖国への愛、とりわけ英国の豊かで緩やかな自然、そして自らの宗教観を重ねてみたのではないかと思う。

「アレルヤ」という、キャロルの旋律が随所に何度もなんども出てくる。
イギリスのキャロルのなかで、もっとも知られたフレーズ

荘重で、まさに教会旋法を思わせる第1楽章。
スケルツォの2楽章。民謡調のパッセージが明滅しつつ、とりとめのない雰囲気。
この交響曲の白眉といえる第3楽章の素晴らしさ。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
ここに、純真な祈りの心も読み取れる。
例のアレルヤも何度もくりかえされる。
この楽章だけでも、ときおり聴くことがある。
わたしが死んだら、この楽章をいくつものリクエストの中のひとつとしてかけてほしい。
宗教感・自然観・人間模様がRVWの中で昇華されたかのような素晴らしいシーンなのだから。
いま、世界に一番聴いてもらいたい音楽。
 最後にパッサカリアとして、快活に始まる終楽章も、後半は全曲を振り返りつつ、3楽章をとりわけ思いおこしつつ、浄化されたかのようにして澄み切った雰囲気で曲を閉じるが、この曲の素晴らしさを集大成したような名残惜しい、そして忘れないで欲しいと語りかけてくるような、身にしみいるようなエンディング。
泣けます。

RWVの交響曲の中では一番好きな作品。
近年、一番演奏されているRWVの交響曲だと思う。
バルビローリはRWVの交響曲をボールトのように、すべて演奏しなかった。
残された録音は、2番(ロンドン)、5番、8番だと思う。
もっともバルビローリ向きの5番をEMI にステレオ録音されてよかった。
録音は古びて聴こえるが、バルビローリの一音一音、慈しむような、かつ熱い指揮は、この音楽の持つ祈りの熱さを伝えてやまない。
3楽章には熱き感動が、ラストシーンには切ないまでの祈りがここに聴かれます。

この5番は演奏会でも、プレヴィンとノリントン、いずれもN響の演奏で聴いてます。
いまこそ、RWVの田園と5番を聴くべし時節です。



おうちから見える桜。

デスクから首を伸ばすと見えるぜいたく桜。

でも散った花びらを掃除するのはたいへんだし、葉が茂ったあとは、虫ちゃんがやってきます。




桜は刹那的に楽しむもので、日本特有の味わいかたも華やかで儚いものです。



この週末は冷たい雨で、次週晴れたら桜吹雪です。

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2022年3月25日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 ミュンシュ指揮



河津桜とライトアップされた東京タワー。



3月の14日でしたので、もう葉桜になりかけてましたね。



こちらは芝公園の銀世界の梅と呼ばれる梅園から。

この時期に、梅と桜、あとちょっとだけ菜の花も楽しめる都会の真ん中の公園です。

たぶん、もうしばらく来ないだろうな、と思いつつ東京タワーとともに眺めました。



       シューベルト 交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

   シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

              (1955.5.2 ボストン)

懐かしの1枚。

コロナ共生社会のなかで、音楽界もプログラムに超大規模な作品を取り上げにくくなりました。
マーラーの千人や、グレの歌など、オケも合唱も大量の出演者を要するものはなかなか難しくなった。
オペラでは、演出においてスタンスを大きくとったり、マスクを効果として使ったりという工夫がほどこされたり。
オーケストラコンサートで増えたのは、古典からロマン派の音楽で、シューベルトの交響曲がとても演奏されるようになったと思う。
とくに、4番やザ・グレイトあたりがとても多い(と思う)。
心が優しさを求めている、そんなときに歌心あふれるシューベルト。

あと、いまのウ・ロの戦下にあって、ロシアの作品が敬遠されたりするのはまったくケシカランと思うが、苦悩から歓喜、平和の賛歌、そう、ベートーヴェンがずいぶんと演奏されている。
第5と第9がとても多くて、第9などは欧州では日本の年末状態になってる。

さて、ミュンシュの「未完成」はかなり以前にも取り上げてますが、仕事の拠点を実家に戻したことを経緯にして聴いてみて、自分の未完成のすりこみ演奏がこれだ、と確信を持ったからです。
むかしは、33回転の17センチレコードがあって、両面で30分ぐらいの曲がたくさん出てました。
ビクターレーベルのこのシリーズもそうで、豪華見開きジャケットで50年以上が経過したいまも、その装丁はかなりしっかりしたまま残ってます。
解説を読むと、ミュンシュがまだ存命のように書かれているので、1967年頃の発売かと思われます。



両親に買ってもらったクリスマスプレゼントとしてのレコード第2段が、岩城&N響の第9と、このミュンシュの未完成だったかと記憶します。
2枚のフルサイズレコードだと両親の負担も大きいので、大と小、みたいな感じで2枚でした。
速いテンポを取ると思いがちなミュンシュの指揮は、ここではゆったりとしつつ、かつ優しい歌いまわしにあふれていて、この作品に必須の儚さも随所にあふれている。
重心は低めだけど、ボストン響のヨーロッパ系の音色が堪能できるのも嬉しく、自分には、ともかく郷愁誘う演奏なのです。
管楽器にやや鄙びた雰囲気を感じるのは、さすがに50年代の録音の影響だろうか、それすらが懐かしい。

このレコードのジャケット解説には、77歳の高齢、という表現があるが、いまでは77歳にそんなイメージはないのも、時代の経過を感じます。
1968年、その77歳でミュンシュは亡くなってしまうのですが、もう少し存命であればパリ管と多くの録音を残せたし、ボストンへの客演の新しい録音も実現していたかもしれない。
ストラスブールという、フランスでもドイツでもある街を体現した偉大な指揮者だと思います。



これまでは、散歩して同期生の東京タワーを眺めることができたけれど、もう遠くなるので、お別れをしてきました。

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2022年3月 1日 (火)

シューマン ピアノ協奏曲 ブレンデル&アバド



寒かった2月もおしまい。

季節はちゃんとめぐり、梅の芳香が街にただようになりました。

しかしながら、世界は自然の移ろいを愛でる余地や心地を与えてくれません。

日本だけが崇高なる9条をかかげ、たてまつるなか、そんな夢想ともいえる理想郷を吹き飛ばしてしまった独裁者。

そんなヤツが実際にいて、死んだような眼で、侵攻を正当化し、核で脅す行為を行った現状を世界に見せつけた。

悲しいのは、そんな暴君を支持せざるをえなかった音楽家たちも断罪されつつあること。

いや、その度合いにもよるが、指揮者Gは支持者でもあり友人でもあったが、ロシアの一般の人々が、自分はそうじゃありませんという声明をせざるをえないのが悲しすぎる。
その国の国民であることで謝罪をしなくてはならないっておかしくないか。
日本人も、戦後にそうした教育をほどこされ、自虐史観の固まりとなり、やがて国力さえ弱めるような事態にいまなっている。



ウクライナの無辜の民、それから命令で赴き、命を散らしてしまったロシアの兵士たち、それぞれの命の重みは同じ。

西側の脅威があったとはいえ、これをしかけた指導者P大統領、そして危機が迫るのを知りつつ安穏としていたウクライナ政府、それぞれに問題ありだと思う。

他山の石は、日本に即ふりかかる。

めずらしく音楽以外のことを・・・黙ってらんない

危機のときに、やってきてくれるウルトラセブンは、もういないと思っていい。



  シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 op.54

        アルフレート・ブレンデル

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1979.6 @ウォルサムストウ、ロンドン)

初めて買ったシューマンのピアノ協奏曲がこのブレンデル&アバド盤。
DG専属だったアバドのフィリップスレーベルへの登場もあり、ともかくすぐに飛びつきました。

デジタル移行まえ、アナログの最終期の録音で、当時、フィリップスの録音の良さは定評があり、このレコードを代表に、最新フィリップスサウンドを聴くというレーベル主催の催し物に抽選で当たり、聴きに行きました。
大学生だった自分、会場はちょうど通学路にあった塩野義ビルのホールで、スピーカーはイギリスのKEFだったかと思う。
名前は忘れてしまったがMCは著名なオーディオ評論家氏で、このシューマンや小沢のハルサイとか、ネグリのヴィヴァルディとかが紹介され、ともかく自宅では味わえない高音質サウンドに魅了されたものです。

いま聴いても、芯のある録音の素晴らしさは極めて音楽的で、ピアノの暖かな響きと、オーケストラのウォーム・トーンがしっかりと溶け合って美しい。
ブレンデルのピアノが、折り目正しい弾きぶりのなかに、シューマンのロマンティシズムの抽出が見事で、柔和ななかに輝く詩的な演奏。
アバドとロンドン響も、ともかくロマン派の音楽然としていて、溢れいづる音楽の泉にとともに、早春賦のような若々しい表情もある。
春や秋に聴く音楽であり、演奏でもあると思う。
久々に聴いて、学生時代を思い出したし、若かった自分、いまとまったく違った若者の街、渋谷を懐かしくも思い出した。



遡ること小学生の自分。
ウルトラQ→ウルトラマンと続いて名作「ウルトラセブン」に夢中だった。
同時期にサンダーバード。
プラモデルで、ウルトラホーク号や、サンダーバード1~5号、ピンクのペネロープ号など、みんな揃えましたね。

そして衝撃的だったウルトラセブンの最終回。
戦い疲れ、もうあと1回変身したらあとがないと知ったセブン=モロボシ・ダンは、アンヌ隊員に「アンヌ、僕はねM78星雲からきたウルトラセブンなんだ!」と告白します。
ここで衝撃を受けるアンヌ、画面は彼女のシルエットとなり、流れる音楽はシューマンのピアノ協奏曲の冒頭。

アンヌは「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンで変わりないじゃないの、たとえウルトラセブンでも」
いまなら涙なしには見れない感動の坩堝となるシーン。
最後の戦いの間、シューマンの音楽は流れます。

このときの演奏は、リパッティとカラヤンのもので、刹那的なロマンを感じる演奏ですね。

昔のレコ芸で、ウルトラマンやウルトラセブンを数本監督した実相寺昭雄氏とウルトラセブン以降、ウルトラシリーズの音楽をすべて担当・作曲した冬木徹氏の対談を読んだことがあります。
あの感動のシーンの音楽は悩んだ末の窮余の一策で、チャイコフスキーのコンチェルトでとか言われたけれど、なんか違うなということになり、家から持ってきたレコードだったと冬木氏は語ってます。
円谷プロの円谷一氏は、早逝してしまったが、ヴァイオリンも習っていたしクラシック好きだったと。
だから冬木氏の作り上げたウルトラセブンに流れる音楽も、シンフォニックで格調高い。
円谷氏は、テレビで流される音楽を聴いてたら日本中の子供たちは耳が悪くなっちゃう、そうじゃない、子供たちの耳が音楽的な耳に育つようなものを作ってよ、と冬木氏に語ったそうな。

ほぼほぼ、セブンの時代は、ワタクシがクラシックに目覚めたころ。
あれがシューマンの曲だと知ったのはずっとあとのことだったけれども、ウルトラセブンのあのシーンは、きってもきれないことになった。
子供時代、青春時代がないまぜになって、どこか切なく甘い思い出です。

ウルトラセブンに出演していたウルトラ警備隊のメンバーも物故したりしてますが、ヒーローのモロボシ・ダン役の森次晃嗣さんは、藤沢の鵠沼でジョリー・シャポーというレストランを経営していて、お店によくいらっしゃるとのこと。
一度行ってみたい。
ヒロインのアンヌ隊員役の、ひし美ゆり子さんは、多くのお孫さんに恵まれ、孫の預かりを日々楽しみにしていらっしゃるご様子。
SNSでよく拝見してます。

そして、私もそっくり歳を重ねて孫も生まれたし、今月、東京を去ろうと決意し準備中で超忙しい。

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2022年2月 4日 (金)

ふたつの2番 チャイコフスキー&ブラームス アバド指揮



わが吾妻山の菜の花と背景の相模湾

春の兆しは1月終わりぐらいからもうやってきてます。

晴れと寒さも加わり、今年の吾妻山はことさらに美しく、カメラを構える方も多数。

今日は、アバドの若き日々のふたつの2番を。

ともにすでにブログで書いておりますが、アバドらしさ満載です。

チャイコフスキーとブラームスの交響曲第2番。

どちらが先に書かれたか?

ブラームス!と思ってしまいますが、実はチャイコフスキーの2番の方が先に書かれてます。

チャイコフスキーの2番が1872年、ブラームスの2番が1877年。

ブラームスは1833年生れ、1897年没。
チャイコフスキーは1840年生れ、1893年没、ということで、チャイコフスキーの方が後に生まれ、先に亡くなっています。
いかに、ブラームスが慎重で晩成型のタイプであったことがわかるし、チャイコフスキーが才能を早くから開花させ、そして急ぐようにして急逝してしまったか・・・・

しかし、これら2番に共通するのは、南へのあこがれと、それを堪能した解放感です。
チャイコフスキーは、ウクライナの南方にあるカムヤンカというモルドバ寄りのドニエストル川流域の地で夏の休暇を過ごし、そこでウクライナ民謡などを取り入れつつ作曲。
ブラームスは、オーストリアの風光明媚なウェルター湖畔ペルチャッハで、同じく6月から10月までの夏のタイミングで作曲。
ともに、明らかに明るさが基調となる素敵な交響曲となりました。

その2曲を若いアバドはDGに録音。



 チャイコフスキー 交響曲第2番 ハ短調 op.17

  クラウディオ・アバド指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1968.2.20 @ロンドン) ジャケットは借り物です

アバドがレコードデビューしてまだ2年、ロンドン響との録音も始まっていたが、同時期に共演を始めていたニュー・フィルハーモニア管とのいまでは希少な録音。
同オーケストラとは、あと、ブラームスのカンタータ「リナルド」があります。
ともかく渋いところを30代初めのアバドは責めてました。

DGがそんなアバドに注目してレコーディングパートナーにしたけど、必ずしも演奏会の演目と並行して録音したわけじゃないみたいだ。
いつもお世話になっておりますアバド資料館を拝見しますと、このチャイコフスキーも次のブラームスも同時期の演奏会記録にはなくて、録音だけの曲目選択だったと思われます。
いまでは考えられないことだけど、かつては、レーベルやプロデューサーの意向で、そんな采配ができた。
さらにデータを見ると、同じ1968年2月、アルゲリッチとショパンとリストを録音していて、そちらはロンドン響。

むかしのレコ芸で、高崎保男先生が、ニュー・フィルハモニアを指揮するアバドのトリスタン前奏曲と愛の死を聴いたことを書いておられ、60年代のアバドがどんなトリスタンを演奏していたのか、ともかく気になってしょうがなかった思いがありました。

8年経過して1楽章を全面的に改定した版を作って、いまがそれが定番となりましたが、全編明るい雰囲気のただよう2番を、イタリア人が奔放に指揮した、というような評価ばかりだった。
しかし、あっけらかんとした終楽章にも、アバドらしい冷静さを伺えるとともに、何と言っても、この曲の魅力であるロシアの抒情にあふれた、それはファンタジックな1番にも通じる第1楽章の演奏が、旋律美とリズム感にあふれまくっていて、そのあたりの抒情を巧みに引き出し、メリハリとともに、全体のバランスも見事にとった構成感を感じさせる真摯な演奏なのであります。
16年後のシカゴとの演奏もアバドゆえに好きだけど、オケが立派すぎるし、録音に雰囲気が少なすぎるので、比べたら旧盤の方が好き。
随所にあらわれるアバドの歌心と表情の若々しさ。
イギリスのオーケストラのニュートラルさも、この時期のアバドの感性をそのまま映し出してくれるようだ。
それにしてもウクライナ・・・・・いかになるのでしょう。



    ブラームス 交響曲第2番 ニ長調  Op.73

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

   (1970.11 @イエス・キリスト教会、ベルリン)ジャケットは借り物です

1970年といえば、日本では大阪万博の年でアポロ11号が月から持ち帰った「月の石」で大フィーバーしていた。
音楽界でも、世界中のオーケストラやオペラ、ソリストたちが次々に来日、おまけにベートーヴェンの生誕200年の年でもありました。
カラヤンとベルリンフィルは5月に来日し、大阪でベートーヴェン・チクルスを行い、東京でもベートーヴェン、ブラームス、幻想、チャイコフスキー5番などを演奏していて、そのプログラム数の多さはいまでは考えられないくらいだ。

その年の秋の録音であるアバドとのブラームス2番。
カラヤンが文字通り独占状態だったベルリンフィルのレコーディングは、ベーム、ヨッフム、ライトナー、なぜかプロデューサーのゲルデス以外にDGへの録音はなかなかなされなかった時分。
若いイタリア人指揮者がカラヤンの主力レパートリーのひとつをベルリンフィルでいきなり録音することは、当時の感覚からすると驚きでした。

このレコードが発売されたときは、自分は中学生で、当時のNHKは、新譜レコードをよく放送してくれていたものだからFMで聴いた記憶があります。
ブラームスはなぜか4番しか聴いたことがなく、1番すらよく知らなかった自分にとって、ともかく明るくきれいな曲だな、という印象でした。
そして当時のレコ芸などでも、このアバド盤は絶賛されていて、この曲の決定盤は、カラヤンかアバドだとかされてました。
数年後に、4つのオーケストラを振り分けた交響曲全集で、ようやく正規にレコードを購入しました。→ブラームス 交響曲全集
全集のなかで、この2番がいまだに一番いい演奏だと思うし、のちの88年の再録音よりも自分は好きですね。
 なんたって、若やいだ、のびのびとした演奏で、北からやってきたブラームスが、春光あふれる自然のなかでくつろいでるような、そんなイメージなんです。
歌にあふれた演奏、美しい弱音、均整のとれた全曲を見通す構成感など、後世にずっと変わらないアバドの個性がここに満載です。



相模湾に、小田原の街、箱根の山

春はもう少し



アバドの若き日々の演奏に、こちらも若き日々を思い起こし、なんだかとても爽やかな気分になれました。

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2022年1月20日 (木)

マーラー 交響曲第9番 アバド指揮



晴れた冬の日の朝。

二宮町の吾妻山からの富士。

右手は丹沢連峰で、大山はもう少し右手。



相模湾方面に目を転じれば、箱根の山と小田原の街。

ふもとの小学校時代から、ずっと登って親しんできた小さな山ですが、今年はとりわけきれいだった。

テレビやマスコミにもこの町の、都会に比べると何もないが自然があるという魅力が報じられるようになり、若い人たちの移住も増えてきた。

長寿の街に、若い息吹きを感じるこの頃です。



  マーラー 交響曲第9番 ニ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

        (2010.8 @コングレスザール、ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

2014年の今日、アバドは旅立ってしまいました。

享年80歳、いろんなプロジェクトをかかえ、まだまだ活動の幅を広げていた時分のアバドでした。

アバドの死を知ったときの驚愕の朝。

「さようならアバド」

アバドのもとに集まった、腕っこきの奏者たちによるスーパー・オーケストラ、ルツェルン祝祭管とのマーラー・シリーズの最後は第9。
翌2011年には、10番を取り上げましたがアダージョのみ。
8番を残して、マーラーシリーズは終わってしまいましたが、その8番は、後任のシャイーが2016年に取り上げ、ルツェルン祝祭管のマーラーは完結しました。

トスカニーニが始めたルツェルンのオーケストラ。
アバドはベルリンフィルを辞めるとき、このあとは何をするんですか?と聞かれ、すごいことを企画してるからお楽しみに~的な発言をしてまして、2003年にベルリンフィルのメンバーに、ヨーロッパのオーケストラの首席や名ソリスト、室内楽団などの奏者たちで創設された新ルツェルン祝祭管弦楽団をスタートさせました。
このスーパーオケに、アバドが育てたマーラー・チェンバーの若い奏者たちも加わり、2010年のこちらのDVDでは、若い顔がかなり目立ちます。

76年からスタートしたアバドのマーラー録音。
シカゴとウィーンとで順調に録音を重ねたが、8番と9番を前にしていったん停止。
8番はともかく、アバドは9番に対してとても慎重でした。
シカゴでなくウィーンを選んだのも、得意とする新ウィーン楽派を意識したものかもしれないが、ついに実現したアバドのマーラー9番に狂気乱舞したが、もう30年が経過した。
そのあと、ベルリンフィル、マーラー・ユーゲントとライブ録音を残し、ついにルツェルンで9番を指揮したのが11年前。



テンポも年月とともに伸びました。
マーラー・ユーゲントとの演奏はローマでのライブで、若い奏者たちと聴衆たちの影響もあったのでしょうか、かなり自在な演奏にも聴こえますし、熱い演奏でした。
ウィーン、ベルリン、ルツェルンと名オーケストラとの演奏が残されたのはありがたいことです。
シカゴでも聴いてみたかった。



ここでの演奏は、もう言葉にするのも無駄なことに思えるくらい、突き詰められた究極の演奏行為だ。
流れるようないつものアバドの流線形的な指揮は、つねにしなやかで、どんなフォルテでも柔らかく、どんなピアニシモでも歌は忘れない。
アバドの意志を100%理解し汲んだオーケストラは、アバドの指揮と音楽とに完全に没頭していて、それこそ食い入るように演奏している様が映像でよくわかる。
緻密で、それこそ新ウィーン楽派への橋渡しも感じられる1楽章。
にこやかな笑みすら浮かべながら指揮をする2楽章、オーケストラの驚異的な高性能ぶりが燦然と輝く3楽章、ここでもアバドはしなやかさの極致で微笑みも。
感動の極みを味わえる終楽章。
まったくさりげなく始まるが、分厚い弦に無常すら感じさせる管の名手たちの音色が乗り、音楽はどんどん無色透明になっていく感じ。
これまでの録音のなかで、一番テンポが遅くなり、音に込めた思いが強いはずながら、その音は繰り返しますが透明感が高い。
クライマックスの後の、弦の引き伸ばしも壮絶。
「死に絶えるように」のラストシーンは究極なまでの静けさに、息をするのもはばかれるような思いになります。
音が消えてもアバドが指揮棒を胸の前に握りしめて、オーケストラも動きを止め、聴衆も身じろぎもしない。
この静寂も音楽の一部であることを実感できる。

マーラー・ユーゲントとのDVDでも、ラストは照明を落とす演出がなされたが、このルツェルンでもあの時ほどではないが、会場は暗くなり、いやでも静寂を味わい噛みしめることを余儀なくされる。
2006年のこのコンビの来日公演での6番の終結でも、同じく静寂が訪れました。
あのときは、演奏のすごさ、すさまじさに唖然としてしまい、加えてオーケストラメンバーたちの感動もすべてを停止させてしまう伝播となりました。
6番のあとと、この9番のあとの静寂は意味合いが違うと思います。
音楽の持つ必然性をアバドが意識し、そして聴衆もすんなりと受け入れたのだろう。



ともかく、この第9の映像を伴った演奏は、アバドのマーラーの到達点であるとともに、数あるマーラーの第9の演奏のなかでトップに位置するものだと思います。
このルツェルンの演奏会に一緒に渡航しませんか?とのお誘いもいただき、真剣に行きたかったけれど、資金的にも仕事的にもあきらめたことを覚えてます。
何をおいても行ってしまうんだった・・・
2013年の秋に、アバド&ルツェルンは再来日を予定されていましたが、アバドの体調悪化で中止となりました。
だから、私がアバドの指揮に出会えたのは、2006年が最後となりました。



クラウディオ・アバドの命日に、早い春の菜の花を手向けたいと思います。

いま吾妻山は菜の花が満開です。

 1月20日 過去記事

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」

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2022年1月 9日 (日)

フィンジ ディエス・ナタリス



正月も過ぎ、松も明け、毎日が矢のように過ぎてしまう。

月日がほんと早い。

心落ち着くジェラルド・フィンジを聴く。



     フィンジ(1901~1956) 作品集 

 ①祝典讃歌「見よ、満ち足りた最後の生贄」

 ② ディエス・ナタリスよりアリア「挨拶」

 ③ シルヴィアって?

 ④ 3つの独り言~恋の骨折り損

 ⑤ 清く穏やかな流れ

 ⑥ ローリクム・ロールム

 ⑦ Introit 入祭唱

 ⑧ Come away , come away ,Death 来たれ 死よ

 ⑨ 前奏曲 ヘ短調

 ⑩ ロマンス 変ホ長調

 ⑪ リズビー・ブラウンに

 ⑫ ディエス・ナタリス~イントラーダ

 ⑬ もはや灼熱の太陽も怖れるな

 ⑭ セヴァーン狂詩曲

 ⑮ エクローグ ヘ長調

   Sax:エイミー・ディクソン ①②⑥⑧⑪⑬


   Vn:トーマス・グールド ⑦

   Pf:トム・ポスター ⑮

   Hr:ニコラス・フリューイ ③

 ニコラス・コロン指揮 オーロラ・オーケストラ
   
    (2015.7,8  @フェアフィールド・ホール、クロイドン)

フィンジの作品ばかりを集めたCDは、マリナー以来かもしれない。
しかもメジャーレーベルで。

ニコラス・コロンは、もうじき39歳のわかいイギリスの指揮者で、彼とティチアーティ、英国ユースオケのメンバーとで2004年に設立した、オーロラ・オーケストラの指揮者を務めている。
彼らの演奏会は、プロムスなどで数年来、視聴しているが、古典~ロマン派系ではピリオド奏法を採用し、立演で行うなかなかに刺激的かつ楽しいものです。
若い彼らは、まさに若いリスナー向けに、解説を入れながら聴きどころを分析しながら演奏したり、また幻想交響曲では、メンバーがいろんなお面を装着して想像力をかきたてるような楽しいコンサートを行ったりしてます。

またコロンは、ハーグのレジデンティオケと、昨年からはフィンランド放送響の首席、ケルン・ギュルツェニヒ管の首席客演ともなってます。
活動の幅を大きく伸ばしつつあり、レパートリーも古典から近現代ものまで広範に収める、今後の注目株であります。

ユニークな活動を続けるコロン&オーロラオケのフィンジ。
その内容も、フィンジの心優しい音楽に徹底的にスポットをあてた1枚となっていて、これもまたユニークなものといえます。
聴く人によっては、もしかしたらムーディに過ぎると思う向きもあるかもしれません。
ここでは、至芸の名曲「エクローグ」を最終に据え、ロマンスや、セヴァーン狂詩曲といった名小品、クリスマスのカンタータ、ディエス・ナタリスから2曲、数ある歌曲集から数曲。
歌曲では、サキソフォーンのソロに編曲されていて、それが素敵なスパイスとなってます。
フィンジ入門編というより、フィンジの音楽にすでに魅了された聴き手が、ここに収録された1曲、1曲のあらたな側面を見いだすような、そんな1枚だと思います。

フィンジの魅力のひとつは、デリケートな歌曲の数々。
ここでは、「いざ花冠を捧げよう」から③と⑧、「地球、空気、そして雨」から⑧と⑬が選択されていて、サキソフォーンとホルンによる声に変わるソロがとてもステキなのであります。
美人さんのエイミー・ディクソンの麗しい演奏。
あとパートソングから弦楽合奏へ編曲された⑤も美しい桂曲。

1楽章の出来栄えに不満を感じ、引っ込めてしまったヴァイオリン協奏曲の2楽章にあたる⑦「intoroit(入祭唱)」は、まさにヴァイオリンとオーケストラによる作品で、美しさ・儚さ、これ極まれりといった抒情にあふれた作品。
このあと、「来たれ死よ」(シェイクスピア詩)が続くものだから泣ける・・・・

楚々たる抒情作、ロマンスは、いまやいくつも演奏があるが、コロン盤の優しさは、曲の並びも手伝い泣けます。
そして、最後は「エクローグ」で締めるフィンジ作品集。

くりかえし、何度も聴いて、ずっと浸っていたい。
窓の外は冬の澄んだ青空。



  フィンジ カンタータ「ディエス・ナタリス」

    T:トビー・スペンス

   スコテッシュ・アンサンブル

     (2007.10 @ウィグモア・ホール、ロンドン)

コロンのフィンジ集に、2曲おさめられた5つの部分からなるカンタータ。
「生誕の日」または「クリスマス」と邦題として訳される20分あまりの作品。
1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


いずれもフィンジらしい、滋味と抒情にあふれた音楽で、そこに哀しみもたたえた雰囲気があるのも、まさにこの作曲者ならでは。
この曲、これまで何度かblogに残してきましたが、テノールによる歌唱を前提とし、ソプラノでもOKとされてます。
清潔なソプラノでの歌唱も素晴らしいのですが、やはり繊細なイギリス系のテノールで聴くのが味わいも深いというもの。

とりわけ美しい最終の「挨拶」。
イエスの生誕、その出会いにふるえる自分、清新な心持ちが歌われる。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと

ロンドン生まれのトビー・スペンスは、ヘンデル、モーツァルトからブリテン、アデスまで、広範なレパートリーを持つリリカルなテノールで、ポストリッジと同じような立ち位置にあり、彼よりやや声は強いイメージです。
健康的な明るめの声は、陰りあるポストリッジともまた違い、この健やかなる作品の別の側面を聴かせてくれるように思った。

年が明け、初孫が生まれした。

その無垢なる姿を見て、この腕に抱いたとき、この作品が脳裏に浮かび、響きました。



穏やかに、平和でありますように。

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2022年1月 3日 (月)

フランク 交響曲 ロンバール指揮



2022年が始まりました。

高校時代に通った小田原です。

個人的にも新年早々、大きな出来事もあり、それこそめでたしですが、今年は他にも自分にとって大きな変化があります。

それはともかくとして、日本も世界も、自然災害や政治、国際関係など、激しく動くものと予見します。

でも、どんなときにも、音楽は片ときも手放せません。

今年のアニバーサリー作曲家は、フランクやV=ウィリアムス、スクリャービン、アルヴェーンなどなどで、ちょっと渋いですね。



      フランク 交響曲 ニ短調

 アラン・ロンバール指揮 ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団

         (1995 @ボルドー)

生誕200年のセザール・フランク(1822~1890)
交響曲、交響詩いくつか、交響的変奏曲、ヴァイオリンソナタ、ピアノ五重奏曲、「至福」ぐらいしか聴いてない作曲家フランク。
交響曲だけは、20枚以上もそろえてしまったけれど、それだけは近くて、あとは自分にはなんだか遠いフランク。
ワーグナーと同時代のフランクだが、ワーグナーの音楽とは対極にあるようでいて、でも熱い宗教心が情熱的なうねりを呼ぶ点で、ワーグナーの音楽にも近いともいえるかも。
また、ブルックナーとも2年違いで、ということは、2年後にはブルックナーは生誕200年を迎えるわけだが、そのブルックナーは、フランクが交響曲作曲時は、7番の交響曲を作曲していた時期に重なる。
フランクは66歳にして始めて書いた交響曲。
第2番には行かなかったところもまた、慎ましいフランクらしいところ。
宗教的な感動が背景にあることを抜きに語れないフランクとブルックナーの音楽、ここ1~2年は多くの作品が録音されるものと思われます。

全曲を通じ共通の動機が使われていることから、循環形式と呼ばれる、しっかりした構成をもった音楽。
以前より書いてますが、中学生の時に初めて聴いて、第1楽章で形を変えて反復されるカッコイイ動機に惚れ込み、年をとってからは、第2楽章のイングリッシュ・ホルンの旋律が心に侘びさびのようにしみるようになった。
明るい終楽章の冒頭、やがて全曲を回顧するかのような雰囲気のあと、歓喜の中に終結する。
もっと弾けていいと思うが、でもこのぐらいがフランクらしく、フランクたる由縁の終わり方。
コンサートでも、なかなか盛り上げにくいところも好き。

生国ベルギーのオーケストラの録音は、存外に少ない。
ベルギー出身のクリュイタンスも、この交響曲の正規録音はない。
このあたりも前から思っていた、残念な部分。
少年時代に移住したフランスのオケのものはたくさんあり。
パリのオケばかりでなく、各地のオケによる録音もいろいろあって、フランクの交響曲で、フランス各地のオーケストラめぐりをするのも楽しい。

ボルドーのオーケストラによるこのCDもそのひとつ。
1853年を起点とし、その後、改編や合体をくり返し、ボルドー・オペラとも兼ねる存在となり、1988年にはナショナルの冠がついた。
そのときの音楽監督がアラン・ロンバール。

ロンバールの経歴を過去記事から
1940年生まれ、フランス国内での活動から、1966年のミトロプーロス指揮者コンクール優勝(ちなみに、飯守泰次郎は、このとき4位)。
その後、バーンスタインの助手をつとめ、メトなどで活躍し、オペラ指揮者としての才覚もあらわす。
71年からは、母国ストラスブール・フィルの音楽監督となり、エラートとの契約も成立し、当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、大量の録音を残しました。
 その後は、ボルドー・アキテーヌ管弦楽団、そして、いまは、スイス・イタリア語放送管弦楽団の指揮者として活躍してます。

ストラスブール・フィルとの70年代の録音の数々は、そこそこ聴いたけれども、パリのオケとも違うちょっとドイツっぽいオケを駆使し、またエラートの鮮やかな録音も手伝い、切れ味のいい、かつ明晰な演奏が印象に残っている。
ボルドーとの演奏は、このフランクしか聴いてはいませんが、カルメンやオテロ、マーラーなどの録音も気になるところ。
 このフランクの演奏は、テンポをいきなり動かしたりして、あれれ?と思わせるヶ所が散見されるが、案外に渋い仕上がり。
ストラスブール時代のキレのよさは影をひそめ、ややモッサリ感があるのが以外だけれど、オケがローカルな味わいがあり、2楽章など曲の良さをしみじみと実感できました。
フランス南西部のボルドーのオケは、この時期まだ鄙びた雰囲気を出していた。
もしかしたら、もっとスタイリッシュな演奏だと思われるストラスブールでの旧録音もなんとか聴いて比較してみたい。
ロンバールはやはりオペラの指揮者なんだろうか、不思議な指揮者ロンバール、今回のフランクを久方ぶりに聴いて実感。
超ベテランとしての存在を今後示せるか。いかに。

それにしても、フランクの交響曲は、指揮者とオーケストラによってさま変わりしてしまう正解の演奏のない作品だと思う。
カラヤン、バレンボイム、コンドラシン、ヤンソンス、バルビローリあたりが好き。

ロンバール過去記事

「幻想交響曲」

「ツァラトストラはかく語りき」



小田原駅近接の商業施設、minaka小田原。



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2021年12月30日 (木)

わたしの5大ヴァイオリン協奏曲



東京駅丸の内、仲通りのイルミネーション。

とある日曜日に行ったものだから、通りは人であふれてました。

冬のイルミネーションは、空気が澄んでいてとても美しく映えます。

勝手に5大ヴァイオリン協奏曲。

一般的には、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーが4大ヴァイオリン協奏曲。

ここでは、私が好きなヴァイオリン協奏曲ということでご了解ください。

順不同、過去記事の引用多数お許しください。

①コルンゴルト(1897~1957)



   ニコラ・ベネデッティ

 キリル・カラヴィッツ指揮 ボーンマス交響楽団

        (2012.4.6 @サウザンプトン)

好きすぎて困ってるのがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
順不同とか言いながら、これは、一番好き、自分のナンバーワンコンチェルトです。
若き頃はモーツァルトの再来とまで言われながら、後半生は不遇を囲い、亡くなってのちは、まったく顧みられることのなかったコルンゴルト。
そして、いまや「死の都」は頻繁に上演される演目になり、なによりもこのヴァイオリン協奏曲も、ヴァイオリニストたちのなくてはならぬレパートリーとして、コンサートでもよく取り上げられ、録音も多く行われるようになりました。
1945年、ナチスがもう消え去ったあとに亡命先のアメリカで作曲。
アルマ・マーラーに献呈。
1947年、ハイフェッツによる初演。
しかし、その初演はあまり芳しい結果でなく、ヨーロッパ復帰を根差したコルンゴルトの思いにも水を差す結果に。
濃厚甘味な曲でありながら、健康的で明るい様相も持ち、かつノスタルジックな望郷の思いもそこにのせる。
 11種のCD、10種の録音音源持ってました。
若々しい表情でよく歌い上げたベネデッティの演奏。
銀幕を飾った音楽を集めた1枚で、トータルに素晴らしいのでこちらを選択。
ムター、D・ホープ、シャハムなどの演奏もステキだ!

②ベルク(1885~1935



   イザベル・ファウスト

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

     (2010.12 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

ベルクのヴァイオリン協奏曲も、このところコンサートで人気の曲。
マーラーの交響曲との相性もよく、5番あたりと組み合わせてよく演奏されてる。
1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけもあって生まれた協奏曲。
ベルク自身の白鳥の歌となったレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲。
甘味さもありつつ、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。
 音楽の本質にずばり切り込むファウストの意欲あふれるヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へも誘ってくれる。
 10種のCD、12種の録音音源。


③バーバー(1910~1981



   エルマー・オリヴェイラ

  レナート・スラトキン指揮 セントルイス交響楽団

     (1986.4 @セントルイス)

1940年の作品。
戦争前、バーバーはこんなにロマンテックな音楽を作っていた。
私的初演のヴァイオリンは学生、指揮はライナー。
本格初演は1941年、ヴァイオリンはスポールディング(なんとスポーツ用品のあの人)とオーマンディ。
3楽章の伝統的な急緩急の構成でありますが、バーバー独特の、アメリカン・ノスタルジーに全編満たされている。
 幸せな家族の夕べの団らんのような素敵な第1楽章。

第2楽章の、遠くを望み、目を細めてしまいそうな哀感は、歳を経て、庭に佇み、夕闇に染まってゆく空を眺めるにたるような切ないくらいの抒情的な音楽。
無窮動的な性急かつ短編的な3楽章がきて、あっけないほどに終わってしまう。
この3楽章の浮いた存在は、バーバーのこの協奏曲を聴く時の謎のひとつだが、保守的なばかりでない無調への窓口をもかいま見せる作者の心意気を感じる次第。
 ハンソンのロマンティック交響曲とのカップリングで発売された、アメリカ・ザ・ビューティフルというシリーズの1枚。
ポルトガル系アメリカ人のオリヴェイラのヴァイオリンは、その音色がともかく美しく、よく歌うし、技巧も申し分ない。
加えてスラトキンとセントルイスの絶頂期は、アメリカのいま思えば良き時代と重なり、まさにビューティフルな演奏。
 CDは5種、録音音源は8種。 

④シマノフスキ(1882~1937)



  アラベラ・シュタインバッハー

 マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

     (2009.5 @ベルリン)

ポーランドの作曲家シマノフスキの音楽作風はそれぞれの時期に応じて変転し、大きくわけると、3つの作風変化がある。
後期ロマン派風→印象主義・神秘主義風→ポーランド民族主義風
この真ん中の時期の作品がヴァイオリン協奏曲第1番。
ポーランドの哲学者・詩人のタデウシュ・ミチンスキの詩集「5月の夜」という作品に霊感をえた作品で1916年に完成。
 単一楽章で、打楽器多数、ピアノ、チェレスタ、2台のハープを含むフル大編成のオーケストラ編成。
それに対峙するヴァイオリンも超高域からうなりをあげる低音域までを鮮やかに弾きあげ、かつ繊細に表現しなくてはならず、難易度が高い。

鳥のざわめきや鳴き声、透明感と精妙繊細な響きなどドビュッシーやラヴェルに通じるものがあり、ミステリアスで妖しく、かつ甘味な様相は、まさにスクリャービンを思わせるし、東洋的な音階などからは、ロシアのバラキレフやリャードフの雰囲気も感じとることができます。
これらが、混然一体となり、境目なく確たる旋律線もないままに進行する音楽には、もう耳と体をゆだねて浸るしかありません。
 この作品が好きになったのは、ニコラ・ベネデッティとハーディングのCDからだけど、彼女の演奏はコルンゴルトで選んじゃったから、同じ美人さんで、シュタインバッハーとヤノフスキのものを選択。
鮮やかで確かな技巧と美しい音色のヴァイオリンは、万華鏡のようなシマノフスキの音楽を多彩に聴かせてくれます。
 この作品もコンサート登場機会が急上昇中。
CDは3種のみ。録音音源は5種。

⑤ディーリアス(1862~1934)



    ユーディ・メニューイン

 メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

   (1976.6 @アビーロードスタジオ)

1916年、グレ・シュール・ロワンにて作者54歳の作品。
 戦火を逃れ、ドイツからロンドンに渡ったディーリアスは、メイ&ビアトリスのヴァイオリンとチェロの姉妹二重奏を聴き感銘を受け、姉妹を前提に、このコンチェルトや二重協奏曲、デュプレで有名なチェロ協奏曲が書かれた。だからイメージは3曲とも、似通っているが、このヴァイオリン協奏曲がいちばん形式的には自由でラプソディーのような雰囲気に満ちているように思う。
単一楽章で、明確な構成を持たず、最初から最後まで、緩やかに、のほほんと時が流れるように、たゆたうようにして過ぎてゆく。
デリック・クックはこの単一楽章を分析して、5つの区分を示し、ディーリアスの構成力を評価したが、わたしはそうした聴き方よりも、感覚的なディーリアスの音楽を自分のなかにある心象風景なども思い起こしながら、身を任せるように聴くのが好き。
フルートとホルン、ヴァイオリンソロでもって、静かに消え入るように終わるヴァイオリン協奏曲。
夢と思い出のなかに音楽が溶け込んでいくかのよう・・・・・
 メニューインとデイヴィスの、いまや伝説級の70年代のEMI録音は、録音も含めて、ジャケットのターナーの絵画のような紗幕のかかったノスタルジーあふれる演奏を聴かせてくれる。
この雰囲気の豊かさは、最新のデジタル録音では味わえないものかもしれないが、だからこそ、タスミン・リトルの新しい録音は是非にも聴かねばならぬと思っている。
CD音源3種、録音音源2種。



週1か隔週ぐらいのペースでblogを更新しましたが、今年ほど思わぬ訃報が舞い込んでお別れの記事を書いた年はないかもしれません。

来年はどんな年になりますかどうか。
音楽を聴く環境も様変わりし、コンサートに出向く機会も激減。
いくつも仕掛り中のシリーズを順調に継続したいけど、時間があまりなく、風呂敷を広げすぎたかなと反省中。

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